相模七福神巡り その2

相模七福神の御朱印印紙の画像

完成した御朱印色紙と完歩で頂いた「洗心」のハンカチ

七福神(しちふくじん)は、あらゆるものに福をもたらすとして日本で信仰されている。恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁才天(弁財天)、福禄寿、寿老人、布袋の七柱の神。ありとあらゆる幸運をもたらせてくれる七福神は、室町時代ごろから幸運、福運、とくに金運をさずけてくださる七神として信仰されるようになったとのこと。今回「相模七福神巡り」をして一番感じたことは、住んでいる身近な場所に、まだ観ていないさまざまな貴重なものがあるのだということを再発見した。「相模七福神巡り」で、身近な場所でも気がついていないすばらしい場所がたくさんあることを感じさせてくれる福をもらったような気がする。宗仲寺(そうちゅうじ)と龍源院(りょうげんいん)は、。相模七福神巡り その1へ。

浄土寺(じょうどじ)

浄土寺は、浄土宗のお寺で元亀年間(1570年~72年)四ツ谷村市兵衛の創建にかかり、浄土宗大善寺(八王子市)の末寺として建立された。宝暦13年(1763)年10月26日類焼の厄に遇い、8年後の明和8年(1771年)10月に第12世根譽的善によって本堂及び庫裡が再建されている。境内に、江戸時代に座間市内で最も早く寺子屋を開いた師匠・保田安兵衛(鳥取県出身)の墓碑があり、座間市内で寺子屋を知る資料として最も古い資料の一つで座間市指定重要文化財になっている。 浄土寺は、相模七福神では、「大漁追福」や「商売繁盛」や「五穀豊穣」「家運隆昌」の「恵比寿」のお寺。境内に、石造の「恵比寿像」、朱印受付場所に安置されていて舌を出している恵比寿様がメインとのこと。

恵比寿(えびす)

恵比寿は、大国主命の御子と伝えられていて、「大漁追福」や「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす漁業、商業、農業の福神。智恵を働かせ体に汗を流して働けばこの神が福財を授けるという信仰の神様。 恵比寿は、釣竿を持ち鯛を抱えた姿の福神で、関西では「えべっさん」の愛称で親しまれている。恵比寿の釣竿と鯛は、釣竿は一匹の鯛しか釣ることができないが,それを根気良く続けていけば,やがて自分の体と同じくらい大きな鯛を釣ることができるようになるという意味があるという。浄土寺の両恵比寿も、大きな鯛を持っている。朱印受付場所の恵比寿はさえあに釣竿をもっていた。お寺さんの話では、ここの恵比寿様は舌を出しているところが他にない特徴 ですとのこと。写真ではわからないが確かに舌を出していた。

浄土寺の画像
恵比寿の画像01
恵比寿の画像02

増全寺(ぞうぜんじ)

増全寺は、浄土宗のお寺で因公学円上人が嘉応元年7月15日寂(1169年)に開山し、開基は鎌倉末期の領主・海老名源八衛広綱とされ、法名の無量院殿龍池増全大居士から山院寺号が付けられ、今の龍池山無量院増全寺となって入る。境内入口には岩船地蔵享保4年(1719)があり、飢餓に苦しむ村民の延命地蔵として祀られた永代供養者を祀る清浄霊廟、動物の霊を祀る動物供養塚がある。 増全寺は、相模七福神では、「幸福」「長寿」の「福禄寿」のお寺。境内のわかりやすい場所に、石造の「福禄寿像」があります。

福禄寿(ふくろくじゅ)

福禄寿は、道教の福神で道教で強く希求される3種の願い、幸福、封禄、長寿の三徳を具現化したもの宋の道士天南星の化身や、南極星の化身(南極老人)とも言われ、七福神の寿老人と同体、異名の神とされていて「福徳」・「人徳」・「長寿」の神様。その姿は、背が低く、長い頭、長い髭、巻物を結んだ杖を持ち長寿のシンボルともいえる鶴を伴い仙人のような人物。ふつうの七福神像は、どこかが標準的な形と違うのだが増全寺の福禄寿は、背が低く、長い頭、長い髭、巻物、鶴とすべてをともなっていた。

増全寺の画像
福禄寿の画像01
福禄寿の画像02

妙元寺(みょうげんじ)

妙元寺は、日蓮宗のお寺で元弘元年(1310)池上本門寺三世日輪が隠棲して開山。地頭秋元刑部が子孫の長く栄えることを願って屋敷を寄進し、自らも得度し名を日長と改め二世となり山号を長秋山という。 妙元寺は、相模七福神では、「縁結び」「福徳円満」の「大黒天」のお寺。本堂の手前の境内に、石造の「大黒天像」があります。

大黒天(だいこくてん)

大黒天は、インドのシヴァ神と日本の大国主命の神仏習合の福神。「有福」「食物」「財福」「出世」のご利益があるとされている神様。インドの神様で仏教の守護神ですが、日本では有福・福徳を示し商売繁盛の守り神として有名。大黒天といえば、左肩に大きな袋を背負い、右手に打出小槌を持ち、米俵をふみ、いかにも福々しい姿を想いうかべると思う。 大黒天が右手に持っているのが、打出の小槌。小槌の「槌」は、「土」の産物である米をはじめとしたあらゆるものを産み出す「大地」を意味するものであると伝えられている。またもう一つ手に持っている大きな袋、「福袋」と呼ぶらしい。みなさんがお正月に買うあの福袋の根源らしい。この袋には、お金やお米が入っている訳ではなく、幸運や幸福などが入っているとのこと。大黒さまがやってくると袋から福を分け与えてくれると言われてるだとか?いづれにしろ七福神野中では、日本でかなり知られている福の神様であることは他hしかである。

妙元寺の画像
大黒天の画像01
大黒天の画像02

善教寺(ぜんきょうじ)

善教寺は、浄土宗のお寺で桃山時代文禄元年(1592年)開山。明誉光善大和尚、開基高橋又兵衛尉久教によって創建された。 妙元寺は、相模七福神では、「家内安全」「福徳円満」の「布袋尊」のお寺。木彫りの布袋尊が堂内に安置されている。本堂の階段のところにも骨董やで購入してきた小さな布袋尊がいてあった。善教寺の朱印受付は、本堂の中で受け付けていた。江戸時代から信仰されている椿地蔵は善教寺の所有で、蕾がふくらんでも花が咲かず落ちてしまう玉椿の木が、平成10年に海老名市史跡名勝記念物に指定された。

布袋尊(ほていそん)

布袋尊は、唐の時代に実在したといわれる仏教の僧や弥靭菩薩の化身だといわ「開運」「良縁」「子宝」の福神。太って、でっぱった太鼓腹、大きな福耳、上半身は半裸に近く、大きな袋を肩にかついでいる。にこにことしたその笑顔の神様で、その功徳は福徳円満。しかし、実はこの布袋尊、七福神の中では唯一実在の人物で十世紀頃の中国の禅僧「契此(かいし)」がモデルと言われている。契此は、常に半裸で、大きな布の袋を肩に担ぎその中に物乞いをして手に入れた食物を蓄えたり、必需品を一緒にいれ放浪し想像もできないような不思議な能力をもっていたとのこと。雪中に寝ても雪をかぶらず、体も濡れず、天気の予測も百発百中、吉凶の占いを得意とし、多くの人々に愛されるようになったとの伝説。

善教寺の画像
布袋尊の画像01
布袋尊の画像02

本覺寺(ほんがくじ)

本覺寺は、真言宗大覚寺派のお寺で弘法大師の開いた真言宗の大覚寺派の末寺で、開山は15世紀の中半以前らしい。本尊の大日如来は運慶作と伝えられ、海老名市の重要文化財に指定。また、境内に、幹回り3m近くの大きなイチョウの木があり、海老名市自然緑地保存樹木に指定されている。このイチョウの木の銀杏が朱印受付場で1袋100円で売っていた。 本覺寺は、相模七福神では、「財宝富貴」「交通安全」の「毘沙門天」のお寺。境内の北方の毘沙門堂に毘沙門天像がお祀りされて入る。弘法大師作との伝承となっているが鎌倉時代末期の作のよう。かなり迫力ある毘沙門天像である。個人的には、相模七福神の中で一番の本格的な像だと思う。本覺寺の朱印受付場では、相模七福神の色紙掛け軸(1000円)が売っていた。私たち家族は、この本覺寺が「相模七福神」最後のお寺だったので、巡った記念として「洗心の大きなハンカチ」をもらった。

毘沙門天(びしゃもんてん)

毘沙門天は、インドのクーベラ神で、四天王の一人多聞天とも言われ日本では毘沙門天と呼ぶ。毘沙門天は、唐の武人装束をまとい、左手に宝塔、右手に金剛棒(または槍)を持ち、二体の邪鬼を踏みつけている姿で表わされ、悪霊を退散させ財宝をさずけるといわれている。「戦いの神」「鎮護国家の神」と信仰され福神。毘沙門天を信仰すると十種の福を得るとされ、その中には「無尽の福」「長命の福」「勝軍の福」「愛敬の福」などがある。また毘沙門天は、民衆に勇気や決断力を与え財福を授ける福神として広く信仰されている。

本覺寺の画像
毘沙門天の画像01
毘沙門天の画像02
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