相模七福神とは?

相模七福神の画像01

新年に、子どもと楽しめる行事がないものかと探していたところ、「七福神巡り」を思いついた。 全国に多くの「七福神巡り」があるが、今回は近郊の「相模七福神巡り」を巡ることにした。半信半疑だったが正直、子どもと楽しめたと思う。「相模七福神」は、浄土寺の恵比寿(座間市)、龍源院の辨財天(座間市)、宗仲寺の寿老人(座間市)、本覚寺の毘沙門天(海老名市)、善教寺の布袋尊(海老名市)、妙元寺の大黒天(海老名市)、増全寺の福録寿(海老名市)の7つのお寺を巡る。「相模七福神」の各お寺での御朱印受付は、1月1日(日)から節分の2月3日(金)まで行われている。「相模七福神巡り」は、1998年に本覚寺(海老名市)の檀家が発起し企画したことから始まったとのこと。歩いて巡るのが基本だと思うが、今回は車で巡ってみた。それでも2時間半かかり、各お寺さんとのふれあいもあり新鮮でとても楽しい1日となった。

相模七福神の巡り方

相模七福神の御朱印印紙の画像

完成した御朱印色紙と完歩で頂いた「洗心」のハンカチ

相模七福神は、最北の宗仲寺を起点とし最南の本覚寺まで全工程11.7km。1日かければ歩いて巡れる距離だ。私たち家族は、ご利益が少なくなってしまいそうだが、文明の利器「車」を利用。それでも、2時間半の時間が過ぎ去っていった。すべてのお寺に駐車場があり正月三が日に、すべての駐車場が渋滞せずに余裕で停められた。ゆっくり巡れたことに感動!!!あまり有名ではない「相模七福神巡り」をする人は、多くないのだろう。「相模七福神巡り」は、歩き、自転車、バイク、車、バスと何でも利用できる七福神巡りだ!!但し、バスは便数が少なくきついかも?巡った証としては、各寺院が手書きで書いてくれる「御朱印色紙」(色紙500円、御朱印料300円)、相模七福神のオリジナルグッズの「七福神の石のお守り」(各300円)、そして「御朱印色紙」を完成させるともらえる「洗心の大きなハンカチ」の三つ。私たちは今回、「御朱印色紙」と「洗心の大きなハンカチ」を目指した。この「相模七福神巡り」、この相模の地に住んで?十年間、はじめての体験。正直、、「七福神巡り」は、お正月の定例行事に入れるべき子どもと楽しめる福が来るお出かけなのではいかと思う。みなさんも、近所の「七福神巡り」を一度は子どもと楽しんでみてはどうだろうか?

アイコン1の画像相模七福神(事務局:本覚寺サイト)

相模七福神巡り その1

七福神(しちふくじん)は、あらゆるものに福をもたらすとして日本で信仰されている。恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁才天(弁財天)、福禄寿、寿老人、布袋の七柱の神。ありとあらゆる幸運をもたらせてくれる七福神は、室町時代ごろから幸運、福運、とくに金運をさずけてくださる七神として信仰されるようになったとのこと。今回「相模七福神巡り」をして一番感じたことは、住んでいる身近な場所に、まだ観ていないさまざまな貴重なものがあるのだということを再発見した。「相模七福神巡り」で、身近な場所でも気がついていないすばらしい場所がたくさんあることを感じさせてくれる福をもらったような気がする。

宗仲寺(そうちゅうじ)

宗仲寺は、浄土宗のお寺で慶長8年(1603年)徳川家康の重臣であった内藤清成が実父・竹田宗仲のために創設された。座間市の文化財として蜻蛉灯籠(かげろうとうろう)、六字名号碑が指定されている。ここは、家康公が存命中の鷹狩りの際に、立ち寄ったとされるほか、元和3年(1617年)、家康公の霊柩が久能山から日光へ遷御される際に一行がこの場所で休息をとったといわれている。 宗仲寺は、相模七福神では「延命長寿」「健康」の「寿老人」のお寺。境内に、石造の「寿老人像」、本堂のホールに江戸時代から伝わる木彫の「寿老人」がある。

寿老人(じゅろうじん)

寿老人は、「健康」と「延命長寿」をつかさどる福神で、背が低く、長い頭に長い白髭、巻き物をつけた杖を持ち、鹿をつれている姿をしている。鹿は、玄鹿(げんろく)と言われ、長寿の象徴とされている。樹老人とも書かれることもあり、樹木の生命力から長寿を象徴しているとのこと。宗仲寺の寿老人が、石造では長い頭かどうかわからないが、本道の木彫「寿老人」は、頭が長かった。石造は、鹿がいたが、本堂の寿老人は、鹿がいなかった。どうやら七福神の形は、場所によりさまざまなよう。

宗仲寺の画像
寿老人の画像01
寿老人の画像02

龍源院(りょうげんいん)

龍源院は、曹洞宗のお寺で寛正2年(1461年)に建立され、かつては入谷丸山下(現在の富士山公園の西側)にあった。二世実州存貞大和尚延宝元年(1673年)に堂宇を改築し時に、ある夜夢枕にたった一匹の白蛇のお告げにより、財宝・五穀豊穣を祈念して弁財天を造立したといわれている。ここにある、辨財天(弁財天)は、お辨天さまのお使いである蛇の頭部にあごひげを蓄えた天女の頭がのった石橡で、蛇は五重にとぐろを巻いている非常に珍しい石造。底辺は128㎝、重さ約940㎏といわれ、当時は裏山の洞窟に祀られてローソクをともして奥深く入る様な状態だったそうだが、土が崩れ半分近くが埋もれてしまったらしい。昭和52年の巳の年に東側の清水の湧き出る源に安置されたとのこと。

辨財天(弁財天)(べんざいてん)

弁財天は、七福神の中で紅一点の女神。インドの神話で「サラスヴァティー神」と呼ばれ、蛇を従え財や富をもたらす女神とされ、「美」や「音楽」、「技芸」、「学問」をつかさどる福神。また、蛇を従え財や富をもたらす女神、お金を増やしてくれる女神とされている。「水」にかかわる場所に安置されているとのこと。ここ龍源院の弁財天は、「辨財天」と表記されている。これは、「サラスヴァティー」の漢訳が「辯才天」で、既述の理由により日本ではのちに「辨財天」とも書かれるようになった時代もあったとのこと。戦後の当用漢字制定により「辯」と「辨」は共に「弁」に統合されたので、現在は「弁才天」または「弁財天」が一般的。(ウィキペディア「弁才天」より引用)。龍源院が、「辨財天」を使用しているのには、何らかの理由があるのだろうか?

龍源院の画像
弁財天の画像01
弁財天の画像02
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